あ ば ろ ん

瀧昌史どんぶらこっこすっこっこ旅日記

ここに鎌倉海濱ホテルありき

時々、鎌倉の滑川交差点そばにある由比ガ浜運動公園(鎌倉海浜公園由比ガ浜地区)に行きます。昼間、よい子たちが学校にいる間に、1コだけあるバスケットボールのゴール目当てで行くのですが、そのゴール横に古い江ノ電の車輌と、石碑があります。江ノ電は1931年(昭和6年)から1980年(昭和55年) 迄活躍した106形107号車。日中は中が開放されており、そこは運動公園で遊ぶ子どもたちが食事中にトンビに襲われた際の(ほぼ確実にヤツらは音もなく背後からやってきます)避難所ともなっています。石碑にある「鎌倉海濱院」とは日本初のサナトリウム(療養所)のこと。その後1888年(明治21年)にサナトリウムは「鎌倉海濱ホテル」に。1906年(明治39年)にはジョサイヤ コンドル設計の総2階建てハーフティンバー様式(half timbering)建築となりました。戦時色濃くなった1938年(f昭和13年)にはイタリア訪日使節団(クロシャツ隊)やヒットラー ユーゲント( Hitlerjugen:ヒトラー青少年団)も宿泊。ヒットラー ユーゲントのひとりは目の前の由比ヶ浜海岸を散策中、入水自殺を図ろうとした女性を見かけこれを助けたそうです。そんな名門ホテルも第二次世界大戦後、米兵が倒したストーブからの出火で消失。はるばる鎌倉まで旅してきた人々の記憶をとどめるのは石碑のみとなりました。

 石碑の後ろに白い壁がありますが、実はその向こうが鎌倉海濱院ホテル跡地です。焼失後は鎌倉シーサイドテニスクラブとなり、それも2010年に閉鎖され、大型ショッピングエリア建設の計画があるようです。ここでトンビに上からガン見されながら、のんびりゴールのバスケットを揺らせるのも、いつまでかな

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