あ ば ろ ん

瀧昌史どんぶらこっこすっこっこ旅日記

リゾッチャの頃

この海辺の団地風建築は神奈川県営長井みなとハイツではなく、改装前のヒルトン ハワイアン ビレッジ ワイキキ ビーチ リゾート(Hilton Hawaiian Village Waikiki Beach Resort)のレインボー・タワー(Rainbow Tower)。竣工は1968年。今から5年前に大がかりなリニューアルがなされましたが、それまではこんな感じでした。
 ハワイ、ワイキキというと、自分はこの建物を思い出します。JALにまだリゾッチャ(Reso`cha)が就航していた頃、つまり前世紀のハワイ景色です

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砂の浮いた道路は

松田聖子の『渚のバルコニー』がリリースされたのは、1982年4月のこと。松本隆による♪砂の浮いた道路は 夏に続いてる〽 というフレーズに衝撃を受けました。オートバイを深く愛していたので路面状況には敏感で、道に浮いた砂には気が滅入っていたのに、それが夏に続いていたとは! 当時自分は大阪在住の20歳で、関東にはそういう道があるんだろうな、たぶん湘南? と想像をたくましくしたものです。
 それから34年。いまの自分にとって砂の浮いた道路とは、ずばり若宮大路国道134号線にぶつかる滑川交差点周辺です。鶴岡八幡宮を背に、参道を海に向かって下り、由比ヶ浜海岸に出るあの信号のあたり。浜に出れば、バルコニーを思わせる海の家もたくさんあるし。今年も延々、夏に続いていましたね。ちなみにいまはもうキッパリと秋です

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瓶たちは清く正しく美しく

なにしろ輸入に頼っているので、フィンランドの食卓において野菜は貴重です。ヘルシンキからはるか彼方のスノーリゾートでもそうでした。ここに来る途中、立ち寄った中華料理屋で「今日はとてもフレッシュな野菜が入ったので、さっと炒めましょうか?」と提案され、いいですね是非、と出てきたのは、シンプルなキャベツ炒め。日本人同行者は皆、無口になりました。

 テーブルに無造作に置かれたミネラルウオーターのガラス瓶が、どれもピカピカです。ミネラルウオーターが瓶入りで、しかもその瓶が新品同様というのは、なかなか貴重かもしれません。キャンドルの火、その揺らめきをものともせず、瓶たちは清く正しく美しくと、テーブルを見渡しています

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中世にほんの1時間ほど

散歩中ふと思いつき、北鎌倉の円覚寺へ。円覚寺での過ごし方は、もうだいたい決まっていて、この山門をくぐり、仏殿にて宝冠釈迦如来(ほうかんしゃかにょらい)と天井の白龍図を納得するまで眺めます。納得したら方丈(ほうじょう)を訪ね、庭を回り込んだ先の一室へ、床の間の阿弥陀如来(あみだにょらい)を見に行きます。方丈を出たら舎利殿(しゃりでん)の門から、山を背負って遠くたつ、その神奈川県唯一の国宝建造物を眺めます。ここの左手には鐘があって、大晦日の夜には門が開き、鐘突き後には舎利殿を近くで眺めることができます。そして如意庵へ。玄関に活けられた花がいいですね。傍らには「an-nei 安寧 如意庵茶寮」と書かれた木片があり、カフェとして営業する日もあるとか。
 その後は山門に戻り、まわりに置かれたベンチのひとつへ。上層屋根の見事な軒反りを見上げつつ、この門を囲んでの盆踊りをしたなあ、ついこの前のようだけどもう秋だなあ、などと感慨に耽ります。これでだいたい1時間。気持ちが「さて!」となったら腰を上げ総門を出ます。階段を降りる途中、境内の線路を横須賀線が横切ったりすると、1時間ほどいた中世から、戻ってきたような気になります

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運転中、眠くなったら

運転していて眠くなったらどうしますか? 自分は一人だったら、まず腰を浮かせながら大声を出してみます。はっ! とか、あっ! とか。それで駄目なら、歌います。思いついたフレーズでシャウト! ヘッドバンキングも辞しません。太腿を拳で連打したり。それでも駄目なら上半身、脱げるところまで脱ぎ、空調温度を下げ開けられれば窓を開けます。それでも駄目なら(だいたいここまでくると、何しても駄目です)瞼を指で開き、高音&プレスティシモ(Prestissimo:極めて速く)で口笛を吹きます。そこまで至るのは、自動車専用道でとりあえずクルマを停められるSAか、ICまで走り続けなくてはいけない、というシチュエーション。その口笛はいつも同じ曲で、我がことながら「え? なぜ、いまそれ?」と、驚きます。iTunesをシャッフルで聴くと決まって変な曲で始まる、あの感じに似ています。
 米西海岸から東に向かって移動中、助手席に座り、ステアリングを握るコーディネーターと「運転中眠くなったらどうするか」談義で盛り上がりました。色々な(本当に良きにつけ悪しきにつけバリエーション豊富でした)方法を試した彼は、トラックドライバー愛用のコーンナッツ(Corn Nuts)に行き着いたそうです。ボリボリ噛むと振動で脳が刺激され、冴えるとのこと。試したら、なるほど結構冴えました。コーンナッツがあまりポピュラーでない日本だったら伊賀(三重県)のかた焼とか、いいかもしれません

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5分の旅情

海峡を行き来する関門連絡船に乗りました。北九州 門司港を出て、下関唐戸1号桟橋に向かいます。所要時間は5分。時に驚くべき速さになる潮を乗り越え、船を避け突っ切るから、エンジンは相当馬力を出しているよう。桟橋を離れて本気になったら終始ドリフトしていました。
 関門連絡船に乗るなら、古川薫さんが藤原義江の生涯を描いた『漂泊者のアリア』を読んでからがおススメです。轟々と行き交う潮流にもまれた運命か……、と旅情にどっぷり浸れます

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干し草にまみれてよォ

アリゾナをクルマで走っていたら、路肩で干し草のブロックをトラクターに移していました。トラクターの陰に、ビリー・ボブ・ソーントン(Billy Bob Thornton)が潜んでいそうに思えるのは、コーエン兄弟映画の見過ぎでしょうか?
 TVドラマ版のファーゴ(FARGO)での怪演が印象的なビリー・ボブ・ソーントンは、今話題のアンジェリーナ・ジョリーAngelina Jolie)とかつて結婚していたそうです、とこれは余談でした。時折乾いた風に干し草が舞います。♪ 藁にまみれてよォ〽 と歌ったのは三橋美智也(達者でナ)さんですが、干し草にまみれるのはカントリー&ウエスタンが合いますね。ちょっとジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)が聴きたくなりました

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光る山

朝から天気が目まぐるしく変わります。強まったり弱まったり雨は続き、時折思い出したかのように日が差します。それも大してながくは続かず、すぐに空は雲で閉ざされます。クルマで峠越えの途中、フロントガラスに雨滴が無くなりワイパーを止めると、急に右サイドが眩しくなりました。水を含んだ緑が暗い雨雲をバックに輝き、一瞬だけ山が光りました。
 次のカーブを抜けたらまた雨、しかも豪雨! ワイパースイッチをマックスにするのは、今日何度目でしょう。ついさっきの山の眩しさが、もはや幻です

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カーレース

足立区のとある団地の一角で見かけました。昼頃だったのでコンセントは抜かれ、スタンバイ状態。よい子の下校を待っています。カーレースの舞台は大胆にも東名・名神高速道路。スタートは東京インター、ゴールは神戸インターという公道レース、いわゆるキャノンボール (Cannonball) ものですね。途中〝落とし穴〟はふたつ。「エンジントラブル」とともに「スピード違反」があるのがシュールです。「スピード違反」の傍らに描かれているのは、日産の5代目C210スカイライン、いわゆる〝ジャパン〟セダンのパトカーっぽいですね。

 プレイしたかったのですが、店の奥の初老の女性に「やりたいんで電源入れてください」と言うのを照れ、つい「これ、写真撮っていいですか?」とカッコつけてしまいました。神戸まで、行きたかったなあ

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贅沢な飯田線

クルマを走らせていたら伊那市駅飯田線@長野県)近くの踏切で、遮断機が降りました。単線でしたが予想に反した電車の立派さに驚きました。豊橋駅(愛知県豊橋市)と辰野駅(長野県上伊那郡辰野町)の間、195.7kmを結ぶ飯田線は、天竜川に沿って走る、とても眺めのいい路線です。40年ほど前には流線型の湘南電車を惚れ惚れ眺めたこともありました。
 だいぶ前に全線乗りましたが、そのときは6時間ほどかかりました。渓谷美を眺めながら195.7kmを6時間ですから、贅沢といえば贅沢です。いまは? と調べたら、10時42分に豊橋駅を出る岡谷行きの辰野駅着は17時18分です。所要時間は6時間36分! 贅沢を忘れてないなあ

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パスタと丼

パスタと丼(どんぶり)、近いものがある気がしませんか? 具と炭水化物の比率や絡め具合が似ています。パスタとご飯、フォークと箸の違いこそあれ、ひとつの器に完結させるその宇宙観は同一と見ていいでしょう。写真のひと皿は南仏、ロクブリュヌ カップ マルタン(Roquebrune-Cap-Martin)でいただいきました。ル コルビジュエの夏の家近くのレストランでたのんだ、地中海を眺めながらの海鮮丼ならぬ、海鮮クリームソースのパスタです。

 ところで丼というと、思い出す逸話が。たしか女優の杉村春子さんのエッセイか自叙伝にあった、志村喬(しむらたかし:七人の侍でいえば島田勘兵衛)のちらし寿司の話です。彼がひとり黙々と、ちらし寿司の具を丼の蓋に移していたので「何してるの?」と聞いたら、こんな答えが。「ちらしは好きなんだが、僕は武士の家の出だからご飯の上にものを載せて食べてはいけないと躾けられたのでね、その癖が抜けなくてね」 ……カッコイイですね! そのあたりはパスタと丼、ちょっと違うかも

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夏だけの橋

夏の海水浴シーズンだけ材木座と由比ヶ浜を分かつ滑川に、橋がかかります。足場にあるような板張り、割った丸太を針金で固定した手すりと、素朴なつくり。ボードウォーク (boardwalk)的な、歩いて渡る橋です。これが架かると夏が来た気がします。材木座(写真左手)から由比ヶ浜(同右手)に渡った先には、これも夏だけのライブハウス、音霊 OTODAMA SEA STUDIOが。今年は水曜日のカンパネラが良かった。エンディングはなかなか衝撃的でした。

 朝散歩していたら、その橋を撤去中。ちょうど手すりが外されたところでした。この橋が無くなると、鎌倉の夏は終わります。見上げればなるほど、秋の雲です

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夜の日替わり丼

東北大学工学部を訪ねた帰りに、青葉山キャンパスの一角にある学食、Komorebi Cafeに寄りました。券売機で「日替わり丼(八宝菜ご飯)」と「サラダ」の食券を購入。併せて五百円ちょっとでした。営業は午後八時までで、入ったのは午後七時過ぎ。ガラス張りの店内は人影もまばらで、広い厨房にも女性がふたりきり。学生とおぼしき客は皆ひとりで、間隔を置いてテーブルにつき照明は落とされていて〝孤独の集い〟のよう。

 やがて番号を呼ばれ、差し出されたトレイには見事な盛りの丼。漬け物と、竹の子、南瓜、ニンジンの煮物付きでした。サラダも直球な盛り付けで、いかにも学食です。その日はクルマで来ていて、食事が済んだら仙台宮城ICから東北自動車道にのり帰る予定。450kmくらいあるはずです。たぶん首都高のどこかで日付が変わるのだろう、などと孤独とともに噛みしめていたら、いつの間にか丼は空になっていました、ご馳走さまでした

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青々と晴れた海

運河の街、小樽(北海道小樽市)をクルマで走っていたときのこと。祝津(しゅくつ)から石狩湾を左手に市街に入り、小樽運河と小樽港を結ぶ水路にかかる橋を渡ったら、右手奥にホテルノルド小樽のドームが見えるあたり、その手前の角地に尋常ならざる数のウミネコが。空き地はコロニーと化していました。視線を道に戻せば、灰色のふわりとしたものが、たどたどしい足取りで横切っています。右手のコロニーから、左手の港にむかって、まるで風に吹かれた大きな綿埃のよう。クルマを左に寄せて停め、車道から歩道への段差を登ろうと必死になっているそれに近づけば、ウミネコのヒナでした。やっと歩道に這い上がったヒナは、海と歩道を分かつフェンスの下をくぐり、その淵でやっと止まりました。よく見れば、頭といい体といい、鋭いくちばしでつつかれたと思われる跡が無数にあります。海をじっと眺めているので、すくい上げ戻したものかどうかコロニーを見に行けば、そこには血まみれでもう完全に息絶えている雛が三体。事情が飲み込めました。綿埃のようなヒナは禍を逃れ、自らコロニーを後にしたのでしょう。

 淵に立つヒナのもとに戻れば、まだ青々と晴れた海をじっと見ていました

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木曾は山の中

木曾は山の中です 誰も来やしません♪ と歌ったのは1974年の葛城ユキさんですが、42年後の夏の奈良井宿は人(観光客)でいっぱいでした。写真は、夕立に見舞われた後の午後6時前。中山道から一瞬人影が消え、雲を纏った山が迫ってきました。
 木曽はたしかに、山の中でした

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