懐かしい一ノ関駅とED75
一ノ関駅(岩手県一関市)ではやぶさ103号を降り、西口へ向かいます。東北本線、大船渡線の在来線をオーバーパスする陸橋を歩いていたら、懐かしい電気機関車がパンタグラフを休めていました。国鉄色のED75です。中学生の頃、これが牽引する『ゆうづる』や『あけぼの』に乗ってみたかったこと、思い出しました。深夜の雪原をゆく夜行寝台特急に、雪がめったに降らない静岡在住の中学生(自分です)は憧れました。
このED75 757は1972年東芝製造の車輌とのこと。初年度製作が1963年の交流電気機関車、ED75は現在5両のみ現役なのだそうです。写真は一ノ関駅構内西口改札付近で撮ったのですが、そこにはなんだか懐かしい正統的駅そばスタンドがあったりしていい雰囲気。自動改札機が妙なハイテク感をかもしていました
高度1万mのサムライブルー
JAL国内線に搭乗して、眼下の富士山に見とれ、ふと目を上げるとサッカーワールドカップ 日本チームのブルーのユニフォームを着たCAの方が、目の前にいたので驚きました。ワールドカップだなあ、それにしてもイケてるサービスだなあ。写真を撮らせてもらおうかな、と思っていたら、いつのまにかデフォルトの制服に戻っていました。聞けば機内でのサービス時のみ着用とのこと。じゃあ、帰りの便で写真を撮らせてもらいます、と言ったら「機材によって着ない便もあり、レアかもしれません。……よろしかったら、もう一度着ましょうか?」とのこと。機材? はて? と思いつつもせっかくだから撮らせていただきました。でもSNSへの顔出しアップはNGとのこと。すごく残念です。
無事着陸してバゲッジクレームまで歩いていたら、何人かスマホで機体を撮っている方がいます。振り向けば、搭乗機にはこんなラッピングが。機体、レア、の意味がわかりました。応援仕様機だったんですね。ちなみに彼女達が着用したサムライブルーの背中には背番号もお名前も無く、大きく鶴丸が描かれていました
大人の法善寺横町
大阪千日前の法善寺(ほうぜんじ)の水掛不動です。苔でおおわれ独特の迫力があります。願い事をなんでもかなえてくれる有り難いお不動さんで、水を掛けると水商売の繁盛が叶うとされ、ここまで迫力が増したとか。路地に小料理屋やバーがひしめく法善寺横丁の入り口に架かる看板の文字は、西が藤山寛美さん、東は三代目桂春団治さんのもの。
あたりは大人エリアで、学生の頃は近くの心斎橋まで来てもこのエリアはなんだか煙たく近づきませんでした。法善寺横町のバーでひとり、というのは実に大人です。……その日は淀屋橋の宿から朝の散歩がてら、歩いてみました。そこはオフィス街、ちょうど通勤時間でしたが、ネクタイをしている人が本当に少なくかった。スーツも決してマジョリティではないような。やっぱり大阪ってすごい!
椿の御所、桃の御所、桜の御所。
三浦半島の三浦海岸から三崎に向かって東京湾を左手に走る神奈川県道215号線は、東京湾沿いにしては程よく風光明媚で適度に鄙(ひな)びている風でもあり、オートバイをよく走らせます。三崎に着くと城ヶ島大橋の下をくぐり、道は北条湾にぶつかるT字路となるのですが、その交差点手前右側に「椿の御所」という京急バスの停留所がありました。遠洋漁業の基地港として知られるミサキに、ずいぶん風情のある地名だな、と気になり調べたら源頼朝が三崎に建てた三御所のひとつとのこと。寵愛した妾、ありていにいえば愛人住まう別宅ですね。三崎には椿の御所の他に、桃の御所、桜の御所もあり、いずれもが現在、寺になっているとのこと。
その三御所、まわってみました。「椿の御所」は、大椿寺と椿の御所幼稚園になっていて、境内には遊具もありにぎやか。「桃の御所」は鉄筋コンクリートづくりの見桃寺のあたりにあったそうでひっそりとしています。「桜の御所」は立派な本瑞寺となっており、その山門の眼下には城ヶ島が浮かんでいます。それにしても「本宅鎌倉、三崎に別宅」とは今でもありそうなロケーション。往復は馬だったのでしょうか、今ならオートバイだな。椿、桃、桜と、その花が咲く頃に滞在するという風流は今は昔の感がありますが、ありていにいえば男のロマンかも