おおRZ!バランバンバンバッ
クルマを運転していて視界の左隅の何かに、強く呼び止められました。え? と思ってよくよくみればRZ250じゃないか! 37年前の8月5日に新車で買った、思い出のオートバイです。クルマを駐めて見に行けば、ショーウインドウに入っていたそのマシンのサイドカバーにはXSR900の文字が。ポップアップの但し書きによれば、タンクカバーとサイドカバーがレトロフィットなのだそうです。ふーむ。
店は定休日のようで、ただただガラス越しに見つめるのみ。心のどこかにボゥッと火が灯った気がしました。イグニッションをONにして、キックを踏み込んだときのバランバンバンバッバッババランバッバッバッババッという排気音が、よみがえりました!
メリークリスマス!ガタンゴトン
昔の寝台特急は、客車を牽引する機関車がヘッドマークを掲げていて「富士」とか「出雲」とか「はやぶさ」とか、じつにカッコ良かった。写真は信越本線横川駅の先にある、碓氷峠鉄道文化むら。そのなかで動態保存されている碓氷峠専用電気機関車 EF63です。ヘッドマークがわりにクリスマスリースを掲げ、運行中です。
このEF63、日本で唯一、運転体験できる電気機関車です。3万円を払い学科教習を受けることが必要で、受講翌日から指導員同乗のうえ運転体験ができます。旧信越本線400m程を往復運転でき、所要時間は30分、料金は5千円とのこと。目の前を重々しく(108tもあるそうです)通過するのを眺めたいへん、そそられました
こんにゃくフライ
まだまだ知らないことがあるものだなあ、と改めて思い知らされました。静岡市清水区を流れる興津川の上流にある、清水森林公園やすらぎの森のなかの売店で見つけました。こんにゃくのフライです。8ヶ 200円です。なんの但し書きもなく、地元の農産物やお菓子などを売る「笑味(えみ)の家」店先に置かれていました。きんつばや炊き込みご飯、やきそば、蕎麦、饅頭などの並びに、こんにゃくフライです。おかずなのか、おやつなのか、微妙です。傍らにはおでん鍋があって、どれでも1串 80円でした。
そのこんにゃくフライを店先のテーブルで山を眺めつついただけば、はじめての味です。こんにゃくは味付きでした。ここは茶葉を急須に入れて湯を注げば、美味しいお茶が飲み放題で、さすが茶処です。かんじんの「おかずか、おやつか」は0-0のまま、食べ終えて5日が経った今でも延長戦を続けています。それほど微妙です
総論イマイチ
本日をもって、ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」が終わります。今回の出展作品ベスト3は、横浜美術館にあった『僕らは鼻歌で待機する』風間サチコ、同じく『まるで胸に穴が開いたような、僕の知っている街、東京の夕暮れ』ミスター(写真↓ )、そして横浜赤レンガ倉庫1号館の『ザ・ビジターズ』ラグナル・キャルタンソン(Ragnar KJARTANSSON)でした。
『‘Why Are We?’’ Project』スプツニ子!もよかった。でも総論としては、イマイチ!
Cadillac Fleetwood Brougham!
1982年モデルのキャデラック フリートウッド ブロアム(Cadillac Fleetwood Brougham)にあったボンネット マスコットです。現行モデルにはない月桂樹飾りと、クラウン的な7ポイントまでトップに配した、堂々たるもの。
モデル名にあるフリートウッドは、1909年に開業したペンシルバニア州フリートウッドのFleetwood Metal Body Companyに由来するもの。格式高い高級車であることを意味します。ブロアムは英国の政治家、Henry Broughamから。彼が愛用した馬車の、垂直に切り立ったリアガラスのデザインを踏襲しているからです。このモデル、オイルショックを受けエンジンは7リットルから4リットルにダウンサイジング、ボディも小型軽量化されましたが、それでもさすがキャデラック。マスコットが立派、キラキラです。'80年代当時、キャデラックからはたいへんユニークなシマロン(Cimarron)もリリースされていました。……その話はまた後日にしましょう、アディオス!
中尊寺にて
関山 中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町)を歩いていたら、弁財天堂と阿弥陀堂の間の細い路地の向こうに、気になる朱いものが。弁財天堂の池を左手に歩み寄ると、ダットラ(Datsun truck)の消防車でした。中尊寺特設消防隊とあります。1970年代の終わりにデビューした720系の4ドアダブルキャブ仕様ですね。
このダットラ、1984年に公開された角川映画『メイン・テーマ』にも出演、森田芳光監督の青春ロードムービーに白いダットラが映えていました。松本隆作詞、南佳孝作曲で、主演の薬師丸ひろ子が歌った同名主題歌が良くて、たしかEPレコードを今でも持っています。それにしても中善寺ダットラの風合いはなかなかのもの。もはや御神輿に近づいており、参拝客にも人気です。その傍らで、火除けのダットラ御守りとか売ってたら、欲しいかも
ヘルメットを脱いで
二輪免許取得は1970年代後半で、当時すで最高速規制が40km/hを超える道路ではヘルメットの着用が義務化されていました。免許を取ったら停学、バイクに乗ったら退学というむさ苦しい高校に通っていた身としては、この規制は顔バレ対策にむしろ好都合。でもあの当時は、観光地で景色が良かったりすると、ヘルメットを腕にノーヘルで爽快感を味わうライダーも多かった。ばったり出くわしたパトカーにも、短くサイレンを鳴らされ「ヘルメット!」とマイクでがなられるくらいで済んでいたような。だから高校生の自分にとって、ツーリング先でヘルメットを脱いで走る時の爽快感、開放感には格別のものがありました。
1980年代の終わりにミラノ郊外のモトグッチ(MOTO GUZZI)で広報車を借りてフィレンツェまでツーリング取材した際も、ノーヘルを注意されました。夕方の渋滞でカメラマンが乗った取材車とはぐれてしまい、旧市街の迷路にハマり、そのうち冷え込み妙にシールドが曇るのでヘルメットを腕にかけて走っていたら、アルノ川に架かるポンテ ヴェッキオ(Ponte Vecchio)橋入口で、バイクを降りようとしていた警官に遭遇。「そのヘルメット、被りなさい」と手振りで怒られました。ああ、助かった、と傍らにバイクを停めて事情を話すと、パスポートチェックの後、メモにあるホテルまで先導してくれました(もちろん、サイレンを鳴らしながら!)。別れ際、警官は「良いバイクだね」とニッコリ。走り去る彼が乗っていたのが、BMW(たぶんK75)だと気づき「そういうものか?」と思ったこと、妙によく覚えています
鎌倉の鈴虫
鈴虫寺といえば京都 妙得山 華厳寺が有名ですが、自分にとっては北鎌倉 円覚寺です。北鎌倉駅あたり、横須賀線は円覚寺境内を横切っていて今時分の夜は、北鎌倉駅に着き電車のドアが開くと、驚くべき音圧の虫の音。ほろ酔いでうたた寝などしていると、目が覚めます。
今朝、鎌倉の下馬交差点を渡っていたら、ちょうど鎌倉女学院の生徒たちの通学時間で、警官が交通整理をしていました。その警官が鳴らす笛が、鈴虫っぽい音色だったので、「さすが鎌倉」と感心。でもよく見たら音はすれど、誰の口にも笛がありません。それは笛の音を模した、携帯電子ホーンなのでした。信号の変わり目、ちょっと急かすようピッ、ピッ、ピピッと鳴らすのも、いまやデジタル。諸行無常の響きあり
O MO TE NA SHI
自分が最初に朝食のご飯を部屋ごとに炊き分けているのを取材したのは湯河原温泉の石葉(せきよう)という旅館でした。前夜にお客さんから言われた朝食の開始時間にあわせ、それぞれのご飯をいくつものカセットガスコンロに載せた釜で炊きあげていました。火加減の調整がシビアで、かなり調理場は慌ただしかった。
写真は別府温泉の花べっぷという旅館で目撃した、自動個別釜炊きマシーン。なんだかアートです。開催中の現代アート展『ヨコハマトリエンナーレ -2017- 島と星座とガラパゴス』会場にあっても、違和感なく見てしまいそう。タイトルは『O MO TE NA SHI』かな。
ぱんちょうの華さん(仮名)
豚丼の名店『ぱんちょう』は帯広駅(北海道帯広市)前にあります。豚丼のグレードが高い方から華、梅、竹、松となっているのは、店の創業者、阿部秀司さんの愛妻の名が梅だったから。松竹梅とはけしからん、梅が一番上等だろう、ということですね、いい話ですね。その日、自分の豚丼をテーブルに置いてくれたのは、お年をちょっとだけ召した割烹着姿の女性で「蓋はそっと上げてください。豚肉がくっついていることがあり、剥がれて落ちることもありますので」と名台詞。「もしかして梅さんですか?」と聞いてみたら「いいえ、先代はもう亡くなりました」とのことでした。
蓋をそっと開けると、そこには素晴らしい景色が広がっています。ちょっと刺激的なので、今回は写真を豚丼到着前のものに自主規制。食べながらメニューを眺めていて、梅の上に華があるのは、さきほどの女性が華さんだからでは? と新たな疑問が。お会計の担当も華さん(仮名)だったので「もしかして、お名前は華さんですか?」と聞くと「いいえ。全く別の名です」と微笑。調べたら、華さん(仮名)は、創業者ご長女の幸子さんでした。梅の上の華はもともと特盛りを略した「特」だったのを、女性も注文しやすいよう「華」に改名したとのこと。自分的には「幸」がいいと思うのですが。それにしてもぱんちょうの豚丼は蓋から絶妙にはみ出していて、とても艶めかしい。ゆっくり外せ、というのも色っぽいし。やっぱり写真掲載は控えておきましょうね