昇仙峡、55歳のモーター君
昇仙峡(山梨県甲府市)を渓流沿いに上がり、仙娥滝(せんがたき)を過ぎてしばらく行くと、昇仙峡ロープウェイがあり仙娥滝駅から山頂パノラマ台駅間、1,015mを結んでいます。そのパノラマ台に上がったところに、モーター君がいました。
1964年(昭和39年)の開通以来、24年にわたってゴンドラを動かし続けた直流モーターだそうです。ご苦労様です。なぜ君づけなのかは、一切解説ナシでした。 モーターは男の子キャラ? それともちょっとタメっぽい感じ? 野ざらしだったし。……あらゆるものをキャラ化する観光地ルールに退役後も晒されています。実直そうなフォルムに親しみが湧きましたが、君づけはちょっとなぁ、初対面だし
さよならエンダー古波蔵店
ファストフードレストラン、A&W(エイ アンド ダブリュ)のルートビア(Rootbeer)は、自分にとって沖縄風味のひとつです。7種類の木の根から抽出されたエッセンスだから〝ルート〟、米禁酒法時代の代替飲料だった名残りで〝ビール〟。名前はビールですがノンアルコール。クセの強いドクターペッパーですね。なぜ店の名がA&Wかといえば、創業者のロイ・アレン(Roy Allen)と、1919年に彼と提携したフランク・ライト(Frank Wright)の2人のファミリーネーム由来とのこと。沖縄での通称は「エンダー」。「エィ ァンド ダーボゥ」の略ですね。氷入りの水を「アイ ワラー」というのに似ています。
写真は、昨日(2019年3月31日)惜しまれつつ、地主との契約切れで閉店となった那覇古波蔵店、店内にて。日本規格のハンバーガーショップとは違う雰囲気で、パーキングも斜め駐車、いいお店でした。別れを惜しみA&WのHPをみたら〝A&Wの歴史〟があり、Archives Vol.1をクリックすると、A&W沖縄第1号店(現在の屋宜原店)のモノクロ写真が掲載されていました。キャデラックと向かい合い左ハンドルのHONDA S600が駐まっていて、S600の脇では制服姿の3人の女性店員が微笑んでいます。いい写真です
たそがれマイ波布
陽気な盛りの良さも沖縄の食の長所で、那覇市通堂町、那覇ふ頭船客待合所横の波布食堂などその最たる名店です。写真は肉ソバで、これがデフォルトです。よく見てください。テーブル奥の方にも肉ソバがありますね。双子山のようです。こんな名店が本日、3月28日に閉店となることを今朝のWeb版琉球新報で知り、驚きました。残念です。軽飛行機の格納庫のようなあの店の灯が消えるのは、とても寂しい。
ところで波布は「はぶ」と読みます。琉球新報の記事の見出しは『グッバイ マイ波布 那覇の名物食堂きょう閉店 開店3時間前から並ぶ人も』、Web沖縄情報ポータルサイト DEEokinawa(でぃーおきなわ)記事の見出しは『【本日閉店】波布・イズ・オーヴァー』でした。……自分的には、突然の別れとなったメランコリックをこめ『たそがれマイ波布』で、ととのいました!
昼は高良食堂で宇宙を食べよう
700円のAランチがテーブルに運ばれてきた瞬間「これは……!」と、息を忘れました。那覇市若狭の高良食堂の昼、店のまわりには那覇独特のカラフルな中間色のタクシーが何台も駐まっていて、それだけで名店の気配濃厚です。Aランチは宇宙的ボリュームで、銀河を思わせる楕円の中には12時ポジションから時計回りでスペアリブ、目玉焼き、トンカツ、レタス&キャベツ、海老フライ、そしてライス! その右側、月のような小皿にあるのはメバチマグロでしょうか、お刺身です。その下の巨星は、容赦なくフルサイズの沖縄そばでした。息をしつつただけば、たいへん美味しゅうございました。
一緒に行った相方は650円のタコス定食をオーダー。おおぶりのタコス(2コだったか、3コだったか……)ともちろんフルサイズの沖縄そば、そしてやっぱり刺身の小皿つき。ああ高良食堂、おススメです
亀かめそばの島マジック
那覇市若狭の亀かめそばでいただいたふーちばーそばです。ふーちばーとはヨモギのこと。ひな祭りのひし餅、最下層、緑のそれを口にして以来、ちょっと……とヨモギからは距離を置いていた自分ですが、ふと思いオーダー。良かったらどうぞ、と無料オプションのふーちばーザルまで受け取っていました。
スープに浸し、しなっとさせれば、悪くありません。亀かめそばは店内がユニークで、小上がりというより大上がりとでも言うべきスペースがあり、しかも靴を脱がずに上がれます。食べながら、たぶん泡盛同様の島マジックが作用しているな、帰って泡盛を飲むとキツいように、帰ってヨモギをたべてもふーちばーの美味はないんだろうな、と思いました。亀かめそばは名店です
ページで『東京流れ者』
アンテロープキャニオン(Antelope Canyon)取材のため米アリゾナ州ページ(Page, Arizona)へ。アンテロープキャニオンは日テレ 「世界の果てまでイッテQ!」でイモトが紹介して以来、日本人人気が高まった美しく神秘的な渓谷です。ページの宿はクオリティ イン アット レイクパウエル(Quality Inn at Lake Powell)でした。観光地によくある部屋ゆったりめのモーテル、写真はそのベッドです。
時差ボケなのでしょう、午前2時頃突然目が覚め眠れません。テレビをつけたらアートフィルム専門チャンネルが見つかり、しばらくぼーっとみていたら、Tokyo Drifterのタイトルとともに渡哲也があらわれました。鈴木清順 監督、川内康範 脚本・原作の1966年 日活アクション『東京流れ者』ですね。独特の色彩と構図で、確かにアートフィルムです。以前観たときはちょっと気恥ずかしかった“流れ者に女は要らねぇ、女がいちゃあ歩けねぇ”のセルフも、ページのモーテルではしっくりきました。結局最後までみてしまいました。見終えても、まだ夜でした
夜間飛行
もう少しで午後11時になる頃、飛行機は羽田空港へ下降。窓からは東京湾に停泊する船舶の灯が夜光虫のように見えます。夜間飛行といえばサン=テグジュペリ(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger de Saint-Exupéry)の小説のタイトルですが、自分的には、ちあきなおみが1973年リリースした夜間飛行の方がしっくりきます。闇に向かって飛び立つ男気よりも、眼下の街の灯に逡巡する女心、でしょうか。たしかちあきなおみ版夜間飛行では曲間にオルリー空港に向かっていることを告げる仏語の機内アナウンスも流れていました。傷心の女がひとりパリに向かっている感があり、旅情でしたね。曲間にアナウンスが入るのは当時の歌謡曲の流行りで、青江三奈の国際線待合室(名曲ですね)でも、アテンションプリーズ~、と入るのがカッコ良かった。FM番組、JET STREAMの城達也も、夜間飛行のお供をするパイロットという設定だったなぁ。
高度と反比例して、地上でのあれやこれのリアルが増していきます。無事着陸しゲートに向かう頃には、そういえば川崎日航ホテルのバーラウンジも夜間飛行だったな、多岐川裕美の写真集も……、とほぼ煩悩100パーです
オスカーとキャデラック
映画『グリーン ブック』が第91回アカデミー賞作品賞に。慶事ですね。自分的にはアルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA ローマ』もオシだったのですが〝OSCARS 2019: GREEN BOOK WINS BEST PICTURE〟の速報もうれしかった。それにしても『ROMA ローマ』をもうNetflix (ネットフリックス) で観られるとは。驚きつつ、これも慶事です。舞台は政治的混乱に揺れる1970年代のメキシコ。とあるシーンでちゃんと道端に510ブルーバード ワゴンが駐められていました。日産(DATSUN)は1966年からメキシコのクエルナバカ工場でブルーバードの生産を始めており、510ブルも作っていて大衆車として人気に。名画『ガルシアの首 Bring Me the Head of Alfredo Garcia 米 1974)でウォーレン・オーツが終盤、メキシコで借りたレンタカーも510 ブルーバードでした。
さて話を『グリーン ブック』に戻せば、同時にオスカーを獲ったマハーシャラ・アリ(Mahershala Ali)同様の名演だったのが1962 キャデラック ドゥヴィル(Cadillac Sedan DeVille)。これに近い年式のキャデラックをどこかでみたなあ、と改めて手元の写真を調べたら石川県小松市の日本自動車博物館でした。写真は同館2Fの〝威容を誇る車たちの広場〟に展示されている1960 キャデラック フリートウッド リムジン(Cadillac Fleetwood Limousine)です。テールフィンから凄いオーラを放っていました
1962年のキャデラック
映画『グリーン ブック』はアメリカの公民権法(Civil Rights Act)成立前のディープ サウスを舞台としたロードムービー。主役のマハーシャラ・アリ(Mahershala Ali)、ヴィゴ・モーテンセン(Viggo Mortensen:彼が『はじまりへの旅 Captain Fantasti 米 2016』で父親、ベンを演じたとはにわかに信じられませんでした。素晴らしい怪優ですね)もいいのですが、なんといっても自分的主役はふたりが乗るエクステリアもインテリアもターコイズの、1962 キャデラック ドゥヴィル(Cadillac Sedan DeVille)。
実際、車内のシーンも多く、ドゥヴィルは実に様々な表情を見せます。そこにはミニバンでもSUVでもなく、1962年のキャデラック セダンでしか成立しない旅が描かれていました。自分もキャデラック CT6とかで、夏のディープ サウスを旅してみたいと強く思いました
見過ごすべきだった
正論風を盾にした実は無用のツッコミはせちが無く、そういうのはどうかと思うこと多々あり、見過ごそうと思ったのですが……。京急のエアポート急行で新逗子に向かっていて、ふと網棚(とはいえ、今や網じゃありませんね)の上の、いわゆる「まど上ポスター」、東京湾フェリーの一枚が、自分の目を捉えて離しません。
黄色いクルマはフィアットのチンクエチェント(FIAT500としては二代目のNUOVA 500)ですね。このクルマ、空冷2気筒OHV 479ccエンジンをリアに搭載しています。だからドライブ後にこんな風に腰掛けるとかなり熱いはず、触れている服やバッグの素材が気になります。シチュエーションはフェリー絡み、乗船前とかだろうから、やっぱりヤケドしそうな気が……。東京湾フェリーは1時間に1本の運航だから、そんなに冷えないだろうし、と思いつつじっと眺めていたら、今度は人に対してチンクエチェントが大きすぎるような気も。ああ、気になってしまう、見過ごすべきだった
須賀川キングジョー
盛岡から都内に向け東北自動車道を南下中、須賀川(福島県須賀川市)に円谷英二ミュージアムがオープンしたことをふと思い出し、寄ってみることに。この1月11日にオープンした須賀川市民交流センター(愛称はtette:テッテ)の5Fにあり、平日午後でもなかなか盛況。高さ2.8メートル、幅1.95メートルのキングジョーの立像(写真)に強く心掴まれました。改めて自分は円谷ファンというより、ウルトラマンやピグモンの造形を手がけた彫刻家、成田亨ファンなのかも、と自覚した次第です。
東北自動車道を南下中、須賀川IC手前のSAでカーナビ代わりのGoogle Mapで「ツブラヤ ミュージアム」と音声入力。すると須賀川ICを降りてすぐの須賀川アリーナが目的地に設定されました。ああ、ミュージアムがICから近くてよかった、とアリーナパーキングにクルマをとめ建物に向かえば、そこにあったのは円谷幸吉メモリアルホール! ああ須賀川には円谷姓の巨星がふたりいたんだと、そのとき知りました。現役時代を知らず寺山修司のエッセイで円谷幸吉を知った自分には、ちょっと切ないメモリアルホール(メモリアルホールという名称もなんだか切ない……)見学に。そこにはオープンした円谷英二ミュージアムの案内は皆無で、ネットで検索し市街地の須賀川市民交流センターに。そこでキングジョーに迎えられ、なんだかほっとしました